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(1) 竜飛海底駅
駅といってもプラットホームに相当する「側壁部歩行路」は狭く,
車中から直接「連絡誘導路」と呼ばれる坑道に入ります。
下写真) 竜飛海底駅には通常の駅としての役割は有りません。ただ,海底駅の見学者の場合は竜飛斜坑線(ケーブルカー)で「記念館駅」まで上がると,ここから外部との出入りができます。 青函トンネル関係の資料は斜坑線の「駅」を兼ねている記念館と記念館前の野外,海底駅の通路内の3箇所に展示されていました。
(右写真) |
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再び,特急<白鳥>に乗車し,函館駅には夕方5時半過ぎに着きました。翌朝,函館駅で写真を撮っていると後ろから声を掛けてこられる方がおられました。 思いがけない場所であり,振りかえると前日,「海底駅」を案内していただいたJRの方でした。今日はホームでマイクを握り乗車案内をされています。前日のお礼を述べ,帰路の函館=青森間は特急で約2時間,津軽海峡線を一気に通過しました。 青函トンネルは多くの人命を失い,技術と不屈の精神の結晶として作りあげられています。外から見ることのできない建造物だけに 海底駅に実際に立つことなしには,多くのことを本当に理解することが出来なかったと思います。
(下写真) 既設の狭軌レールの外側にレール1本を増設し3線にすると新幹線を通すことが出来るように最初から作られています。写真ではトンネル中心側にそのレールスペースがとられているのが分かります。
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(2)青函連絡船 はじめて青函連絡船で津軽海峡を渡ったのは車で北海道を旅行したときでした。当時の旅行は鉄道中心で,今日のようなバスツアーは皆無,自家用車で長距離の旅行をする人も少数派でした。
このように車での旅行者が少ない時代でも青函連絡船による航送となると話は別で,船一便に乗船できるのは乗用車が6台という限られた数です。 一方,高速道路の無い時代では道路事情も悪く,青森までの750kmを毎日10時間以上走り続けて2泊2日を費やしています。更に,車を船に載せるには出港2時間前までに桟橋に行かなければならず,前日は浅虫温泉に宿泊待機し翌朝は食事抜きで青森桟橋まで車を走らせました。
通常の方法では乗船出来ない早い時間帯から車と共に船に潜り込んだ形ですから,国鉄連絡船の出港準備の舞台裏を船内を駆け回って覗くことが出来ました。
数日後再び青函連絡船に乗り,東北地方/中央山間部の道まだ,ほとんどが未舗装を2泊2日で走 り抜けて家に帰りました。 それにしても北海道の国道は舗装率が高く道幅も広くて立派でした。逆に交通量は極端に少なく,旭川から稚内までにすれ違った車は数えるほど,この間の信号機は名寄にたった一ヶ所あったことを憶えています。 |
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車と共に津軽海峡を渡ってから,かなりの年月が経ちました。竜飛海底駅見学の際に青,函で見た連絡船時代のわずかな面影です。
(右写真)旧青森駅桟橋とその先に係留されている連絡船八甲田丸です。桟橋の3列,6本のレールはそのまま船内に続いていた時代もありました。
(下写真)函館駅にある函館本線,0kmポスト(距離標)の裏面です。左側には縦書きで,0k219m00の表記があります。 (2006.7.記) |